学校にも、職場にも、地域の集まりにも、どんなコミュニティにも、なぜか一定の確率で存在する人がいる。
誰かを悪者にして、まわりに同意を求めてまわる人。
その人がいるだけで、場の空気が少し濁る…
PTAで起きたこと
イベント準備のために休日に集まる必要があった。
ある人が参加できなかった。
理由があってのことだと思う。
その人は、集まりに参加できない分、裏方の仕事を誰よりも率先して進めてくれていた。
ただ、別のある人が、その欠席を強く問題視した。
そして、いろんな人に声をかけてまわる。
もちろん、私にも。
「どう思います?ありえませんよね?」
その言い方は、“共通の敵をつくろうとしている”ように感じた。
しかし、この敵づくりは失敗した。
周囲はその誘いに乗らなかった。
その場には、誰かを共通の敵にして盛り上がるタイプの人が少なかったのだ。
だから、悪口の連鎖は広がらず、敵づくりの試みは止まった。
敵づくりが広がるかどうかは、場の性質で決まる
敵づくりは、成功することもあれば、失敗することもある。
私は、悪意が一気に広がっていく場も、そうではない場も、どちらも実際に見てきた。
悪意が広がるときは、本当に嫌だ。
不愉快だし、胸の奥がざわつく。
そして何より、自分には止められないという無力感がある。
その場の空気が一瞬で変わって、誰かが悪者にされていくのを、ただ見ているしかない。
例えるなら、水の中に墨汁を落とすようなものだ。
水の中では、墨汁は一瞬で広がる。
でも、油の中に墨汁を落としても、広がらない。
沈んでいくだけで、周囲を濁らせることはない。
ここで、私ひとりが油でも、大多数が水だったら止められない。
その瞬間に感じるのは、 怒りでも悲しみでもなく、 無力感だ。
広がる場では、ある人の悪意が一気に場を染める。
でも、広がらない場では、 何を言われても、その言葉は沈んでいくだけだ。
私がPTAで遭遇したのは、“油の場”だったのだと思う。
敵づくりをする人の特徴
敵づくりをする人は、行動に特徴があるように思う。
- 悪意を“正しさ”や“常識”のように語る
- 同意を求めてまわる
- 事実より感情を優先する
そうして、こうした行動には、いくつかの心理が重なっているように思う。
- 自分の怒りが正しいと誰かに保証してほしい
- 自分だけが怒っている状態が不安
- 自分の立場を強めたい
- 自分の感情を自分で処理できない
- 不安や孤独を、誰かを悪者にすることで紛らわせたい
- 自分は間違っていないと思いたい
敵づくりは、その人の中にある不安や弱さが形を変えたものなのではないだろうか。
線を引く
敵づくりの空気を感じたとき、私は静かに距離を置くことにしている。
“水の場”にしがみつく必要はない。
自分が悪意の対象になった時も、誰かが悪意の対象になった時も、その悪意が広がっていく場にあえて身を置く必要はない。
広がる場からは静かに離れる。
それが、今の私の選択だ。
でも、これは“今だから”できることだ。
若い頃の私は、そんなふうには考えられなかった。
嫌われないように、仲間外れにならないように、その場にとどまることが正しいと思っていた。
色々な経験の積み重ねの中で、線を引くと言う選択ができるようになったのだと思う。
まとめ
共通の敵をつくりたがる人は、どこにでも一定数いる。
敵づくりをする人には、行動としての特徴があり、その背後には不安や孤独といった心理があるのだと思う。
悪意は、広がる場と広がらない場があるように思う。
もし、不幸にも広がる場に身を置いてしまったなら、私はその場からは距離を置くことにしている。
広がる場にしがみつく価値はないからだ。
線を引くことは、冷たさではなく、自分を守るための静かな選択だ。

