親戚の集まりや知人の集まりで、誰々が病気になったとか、どこの大学に合格したとか、子供がうまれたとか、そういう話になることがある。
でも、その「誰々」が、私にとっては会ったこともない人だったりもする。
その人がどうなったと言われても、正直、反応に困る。
それに、私はこの手の話題が苦手だ。
その場にいない人の話をされるのが苦手なのだ。
なぜこの話題が苦手なのか
ただ興味がないから、というわけではない。
私が苦手なのは、その人の情報が、その人が知らない人たちの間で共有されているという事実だ。
そして同時に思う。
私が話したことも、きっとこうやって、私の知らない誰かに伝わっていくのだろう、と。
その想像が、なんとも言えず不快なのだ。
特に、誰かのネガティブな情報が 話題として消費されるのを見ると、そこに自分の周りの人たちの情報を置きたくないと強く思う。
だから私は、自分の家族や周りの人の状況を聞かれても、あまり話したくない。
この手の話題をする人は、いつも同じ
こういう話をする人は、だいたい決まっている。
逆に、こういう話題をまったくしない人もいる。
この差はなんなのか。
興味の問題ではない。
性格の問題でもない。
もっと根っこにある、「情報の扱い方」への価値観の違いなのではないかと思う。
「情報の扱い方」への価値観の違い
あくまでも私の推測だが、大きく分けて3つのタイプがいるように思う。
① 情報を“共有するもの”だと思っている人
家族や知人の情報は「みんなで共有するもの」と考えている。
- みんなが知っているほうがいい
- 情報はつながりを強める
- 話題にすることで関係が深まる
そういう価値観で生きている。
だから、ネガティブな情報も、ポジティブな情報も、「話題のひとつ」として自然に扱う。
② 情報を“慎重に扱うもの”だと思っている人
家族や知人の情報は「本人のもの」だと考えている。
- 本人が話すならいい
- 自分が話す必要はない
- 情報は勝手に広げるものではない
そういう価値観で生きている。
情報は「個人の領域」だと考えているから、家族のことも、知人のことも、自分自身のことも、必要以上には話さない。
③ 情報を“自分の立場を有利にするためのツール”だと思っている人
家族や知人の情報は「自分の立場を強めるための資源」だと考えている。
- 自分は情報を持っている
- 自分はつながりの中心にいる
- 自分は誰よりも把握している
こういう感覚を得るために、誰かの近況を積極的に話す。
情報を話すことで、自分の存在感や影響力を示している。
つまり、情報を使って自分の立場を上げようとしている。
私はどのタイプなのか
私は、明らかに②のタイプだ。
情報は「本人のもの」であり、勝手に広げるべきではないと思っている。
だから、誰かの情報を、本人不在の場で話題にすることに、ものすごく抵抗がある。
そして、③のタイプの人がいる場では、特に強い違和感を覚える。
その人が悪いと言っているわけではない。
ただ、価値観が違うのだ。
③の人は、情報を“材料”として扱う価値観を持っている。
だから、私と会うと、私のまわりの人の状況を事細かに聞いてくる。
「誰々はどうしている?」
「最近どうなった?」
そういう質問が続く。
質問を重ねられるたびに、情報を渡したくないと思ってしまう。
その情報が、どこかで私の知らないところで使われるのかもしれないと思ってしまうからだ。
だから私は、自分の家族や周りの人の状況を聞かれても、必要以上には話さない。
自分の情報の扱われ方を自分で選びたいからだ。
まとめ
私が、その場にいない人の話をされるのが苦手なのは、私が、情報は“慎重に扱うもの”という価値観を持っているからだ。
人はつながりを感じたくて、誰かの近況を話題にしたりする。
人は優位に立ちたくて、誰かの近況を話題にしたりする。
それは人間らしい行為だと思う。
でも私は、自分の情報が誰かの「材料」になるのが嫌だ。
だから、自分自身の情報や、家族や知人の情報を、必要以上に話したくはない。
その線引きは、誰かを拒絶するためではなく、自分の心の静けさを守るためのものだ。

