私は「ありがとうございます」と言わされる感が苦手だ。
誰かに「これ、やっておくね」と言われると、反射的に「ありがとうございます」と言ってしまう。
望んでいなかったとしても、頼んでいなかったとしても、なぜか口が勝手にそう動く。
そんなときは、いつも小さなモヤモヤが残る。
モヤモヤの原因
私は、このモヤモヤの原因を説明できる。
相手が何かを「やっておくね」と言ってくる。
その瞬間、こちらが「ありがとう」を言う側に回される。
本来なら、「ありがとう」は自分が感じたときに自然に出る言葉のはずなのに、“言わされる”形になる。
その構造が苦手なのだ。
「ありがとう」と感じていない場合と言うのは例えば以下だ。
- 私はこのままでいいと思っているのに、相手の独断で「これ、やっておくね」
- やってほしくない手伝いなのに、「これ、やっておくね」
- 私の担当領域なのに、勝手に踏み込んで「これ、やっておくね」
つまり、ありがた迷惑系だ。
こういう場面で「ありがとうございます」と言うと、自分の気持ちと行動がズレているせいで、モヤモヤが残るのだ。
本心と違う「ありがとう」は疲れる
「ありがとう」は、反射に近いと思う。
日本のコミュニケーションでは、
- 何かしてもらったら「ありがとう」
- 報告されたら「ありがとう」
- 善意っぽいことをされたら「ありがとう」
という文化があるように思う。
だから、みんな知らず知らずのうちに、「ありがとう」が、“反射的に出る言葉”になっているのではないだろうか。
ただ、 本心と違う「ありがとう」を言うと、心が疲れる。
望んでいない、頼んでいない、なのに「ありがとう」を言わされる。
このズレが疲れを生む。
私はそのズレに敏感なんだと思う。
「よろしくお願いします」に変えた
私は、あるときから、「ありがとうございます」ではなく「よろしくお願いします」に変えてみた。
すると、あまりモヤモヤしなくなった。
「ありがとうございます」は “相手の行為に対する感謝”を示す言葉だ。
「よろしくお願いします」は “相手の行為に対する丁寧さ”を示す言葉だ。
望んでいないことをされるのは嫌だし、その行為が嬉しいわけではない。
でも、相手の善意を否定したいわけでもない。
やってほしくないことをされるのは嫌だ。
ありがた迷惑だ。
その事実は変わらない。
でも、それ対して「ありがとうございます」と言うストレスが減るだけで、ずいぶん楽になる。
自分の気持ちとズレた言葉を無理に出さなくて済むことで、心の負担が軽くなる。
「よろしくお願いします」は、 相手の行為を肯定しなくていい。
だから、自分の境界線を守ることができるのだと思う。
まとめ
私は、「やっておくね」と言われると、反射的に「ありがとうございます」と言ってしまう。
でも、その言葉が自分の気持ちと一致していないときには、モヤモヤが残る。
私は、頼んでいないことを勝手にされて、その結果「ありがとうございます」を言わされる構造には距離を置きたい。
相手の善意らしきものを無条件に受け取って、反射的に「ありがとうございます」と言うのではなく、自分の気持ちに合った言葉を選びたい。
「よろしくお願いします」は、そのための小さな工夫だ。
それが、今のところの私の向き合い方だ。

