謝罪の場面で「そんなつもりはなかった」という言葉を使う人がいる。
でも、この言葉は謝罪ではないと思う。
謝罪とは、自分の行いが相手に与えた影響を認める行為だ。
「そんなつもりはなかった」は、その認めるべき部分を、相手の受け取り方の問題にすり替えている。
“あなたがそう受け取っただけで、私は悪くない”
謝罪の場面でこれは致命的だ。
なぜ「そんなつもりはなかった」と言ってしまうのか
「そんなつもりはなかった」という言葉は、防衛機制の典型例だと思う。
防衛機制とは、不安やストレスから心を守るために無意識に働く心理的な仕組みのことだ。
人は、元来、自分の失敗を認めることが苦手なはずだ。
自分が誰かを傷つけた、自分の行為が悪影響を与えた、という事実を認めたくないはずだ。
この事実を認めてしまえば、“自分は良い人だ”という自己イメージと衝突することになる。
その衝突は、心の負荷になる。
だから人は無意識に、それを避けようとする。
自分の責任を最小化し、相手の受け取り方に責任を移すことで、“自分は悪くない”という自己イメージを守ろうとする。
そのときに出てくるのが、
「そんなつもりはなかった」
「悪気はなかった」
「誤解させたならごめん」
といった言葉なんだと思う。
でも、本当に誠実でありたいなら、この無意識の心理的反応を抑えてでも、自分の失敗をどう捉えているのかを、相手に真摯に伝えようとするはずだ。
だから私は、「そんなつもりはなかった」が出てしまうのは、未熟さの証だと思う。
悪意は決してないと思う。
ただ単に、自分の失敗と向き合うという成熟した心がまだ育っていないだけだと思う。
- 自分の失敗を認める経験が少ない
- 誰かに指摘されることを避けてきた
- 自分の内側を見つめる習慣がない
- 自分のイメージを守ることを優先してしまう
こういう環境や習慣が重なり、心が成熟しきれていないのだと思う。
謝罪とは
謝罪は、「そんなつもりじゃなかった」という自己弁護ではない。
謝罪は、自分の行為が相手にどんな影響を与えたかを、相手の視点から見直す行為だと思う。
つまり、自分の行為の「意味」を、相手の立場から読み直すことが必要だと思う。
自分の行動が、相手の心にどんな感情を生み、どんな負荷や不快感を与え、どんな影響を残したのかを想像すること。
そして、その影響を自分がどう理解しているのかを、自分の言葉で相手に伝えること。
そういう姿勢があるとき、 謝罪は初めて“謝罪”として成立すると私は思う。
まとめ
私は、未成熟な謝罪でも受け入れたいと思っている。
謝罪の仕方がまだ育っていないが、その人ができる範囲で差し出したものだと理解できるからだ。
でも、それとは別軸で、どんなに真摯に謝罪されても、どうしても許せないこともある。
誰にでも、そういう領域はあると思う。
許せないものを無理に許す必要はないと思っている。
もしかしたら、これからの経験の中で、いつか受け入れようと思える日が来るかもしれない。
でも、そうならない限りは、受け入れなくていいと思っている。
許すかどうかは、相手ではなく、自分のタイミングで決めるものだから。

