KPIを達成しても成果が出ない理由|“出来たことにする文化”が組織を弱くする

KPIやKGIを使った目標管理は、ビジネスの世界では当たり前のように語られる。

私自身もその便利さは理解しているし、方向性を揃えるための有効な手段だと思う。

ただ、これらの指標は、前提次第で“達成したことにできてしまう”という危うさを常に感じている。

KGIとKPI

KGI(Key Goal Indicator)は最終的に達成したいゴールを示す指標で、KPI(Key Performance Indicator)はそのゴールに向かう途中の行動や成果を測る指標だ。

KGIとKPIは、まずはKGIを設定し、それを達成するために必要な要素を分解してKPIを設計するという関係だ。

「売上〇億円」という大きな目標を掲げられても何をすればいいのかが見えにくい。
でも、それを、「商談数を増やす」「問い合わせを増やす」などの小さな目標に分解すれば、具体的なアクションに落とし込みやすい。

だから、KGIを分解して、KPIが設定される。

つまり、KPIが積み上がればKGIが達成されるという構造が前提になっている。

私は、KGIは比較的“ごまかしにくい指標”だと思っている。
KGIの代表例である「売上」は、操作しようがない。

一方で、KPIは前提を変えればいくらでも操作できてしまうことがある。

例えば、

  • 「問い合わせ件数」 → 問い合わせの定義を広げれば増える
  • 「商談数」 → 商談の基準を緩めれば増える
  • 「生産性」 → 作業時間の計測方法を変えれば向上する
  • 「顧客満足度」 → アンケート対象を変えれば上がる

このように、KPIは“測定方法の前提”に依存するような指標が設定されることが多い。
だからこそ、操作されやすいと感じている。

出来たことにする文化

私が気になるのは、目標設定時の前提と、結果を評価するときの前提がズレる現象だ。

目標を設定するときには、「これらのKPIが全部達成されれば、自然とKGIも達成できる」という因果関係をきちんと設計する。

この段階での前提におけるKPIの値は、KGIにつながるように合理的に設定されている。
ほとんどの場合において、目標設定時の設計そのものは、健全であることが多いと思っている。

しかし問題は、評価の段階で前提が書き換えられることだ。

「この条件は除外しよう」
「これもある意味では1件にカウントできる」
「こういう計算方法でもいいんじゃないか」

こうした“前提の後出しジャンケン”が積み重なると、KPIを達成したようにみせることができてしまうことがある。

私は、このズレが“出来たことにする文化”を生み出していると思う。

そして厄介なのは、これが悪意ではなく、むしろ善意や自己防衛から生まれることだ。

達成したと言いたい
評価を下げたくない
チームの雰囲気を悪くしたくない

こうした気持ちは理解できるし、私自身も感じることがある。

だからこそ、誰も問題として扱わないまま、文化として定着してしまうのではないだろうか。

本来、KPIは「すべて達成すればKGIも達成できる」ように設計されているはずだ。

しかし、KPIの実績値が前提の操作によって“達成したことにされる”と、KPIは全部達成しているのに、KGIが達成されないという矛盾が起きる。

私はこの状態を何度も見てきた。

まとめ

KPIやKGIの本質は“計測”だ。
うまくいっているかどうかを確認するための指標であり、改善のための材料だ。

でも、前提をいじって達成したことにしてしまうと、計測器としての役割を果たさなくなる。

壊れた体重計でダイエットしても痩せないように、壊れた指標で仕事をしても組織は強くならない。

達成したように見せることは短期的には楽かもしれない。
でも、長期的には現実が見えなくなり、改善の機会を失い、組織の成長を止めてしまう。

本当に強い組織は、「達成したかどうかより、正しく測れているか」を大切にするのではないだろうか。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!