人には得意なことと苦手なことがある。
それは当たり前のことで、誰でもそうだ。
そして周りの人も、だいたい誰が何が得意で何が苦手かを分かっている。
私にも、もちろん苦手なことがある。
自分でも分かっているし、周りも分かっている。
だからこそ、ある場面で感じる“違和感”がある。
上司の誉め言葉に感じる違和感
たとえば私は、優先度が高い仕事が急に入ったときに、すべてを止めてASAPで取りかかるタイプではない。
もちろん、優先度が高い仕事の優先度は上げる。
それは当然だし、必要なことだ。
でも私は、今抱えている仕事も確実に終わらせたいと思うタイプだ。
だから、優先度の高い仕事が入ったら、「今抱えている仕事と新しく入った優先度の高い仕事の両方の納期を遵守するために、どう両立するか」を考えながら、現実的なスケジュールを組んで進める。
全部を止めて、まずこれを最優先で!というやり方は、私の性質には合わない。
そんな私が、上司と二人で話しているときに、フットワークが軽い人の話題が出ることがある。
「〇〇さんって、ほんとフットワーク軽いよね」
「いつもすぐに動いてくれて助かるんだよね」
「昨日話してたあの件も、もう完了したらしいよ」
「あの人はほんと優秀だよ」
褒められている当人はその場にいない。
その、当人不在の褒め言葉が、私に向けたメッセージになっているような気がすることがある。
「あなたも、もう少しフットワーク軽く組んでほしい」
そんな意図が、言葉の裏側に貼り付いているような感覚がすることがある。
上司に本当にそういう意図があるのかどうかは分からない。
純粋に褒めているだけの可能性もある。
でも、私は意図があると受け取ってしまうし、実際、これは合っている可能性が高いと思う。
違和感の正体
「フェイス理論」という概念がある。
人は社会的な場面で、自分の面子(フェイス)を守ろうとする。
そして同時に、相手の面子も守ろうとする。
という考え方のことだ。
そして、面子を守ろうとする心理があるから、人は直接言いづらいことをストレートに言わず、別の形で伝えようとすることがある。
今回、私は自分が感じた違和感を考察してみようと思って調べている中で、はじめて「フェイス理論」という概念を知った。
でも、「フェイス理論」を知らなくても、“面子のやり取り”があることは、これまでの経験の中でなんとなく感じていた。
なぜ、私は、上司が誰かを褒めている言葉を素直に受け取らずに、私へのメッセージと受け取ってしまうのか。
それは、私が無意識のうちに、“面子を守るために人は直接言わないことがある”という現象を感じ取っていたからだと思う。
つまり、上司は私の面子を守りつつ、自分の要望を伝えたくて、この方法をとったのだと思う。
もちろん、この考察は間違っている可能性もある。
仮に合っているとする。
その場合、受け取った側は良い気分はしない。
“誰かを褒める言葉の形“をしていても、中身が“私の批判”だからだ。
仮に間違っていたとする。
その場合でも、受け取った側は良い気分はしない。
素直な誉め言葉ではない可能性を感じてしまい、言葉の温度が不自然に感じられるからだ。
つまり、合っている合っていないかにかかわらず、相手の面子を守ろうとして、“別の人を褒める形で示唆する”という行為は、受け取る側にとっては複雑で、時に不快なものになる。
相手の面子を守るための配慮が、受け取る側にとって負担になってしまうというのは、なんだかせつない。
まとめ
相手の面子を守ろうとすること自体は、悪いことではない。
むしろ、人間関係を円滑に保つための大切な配慮でもある。
ただ、その「面子を守るための伝え方」には気をつける必要があると思う。
誰かを褒める形で示唆する方法は、伝える側にとっては安全で優しいやり方かもしれない。
けれど、受け取る側にとっては、言葉の裏側にあるかもしれない意図が見えて、不快感を生むことがある。
人は誰かを傷つけないために曖昧になることがあり、その曖昧さが人を傷つけることもある。
そうした矛盾を抱えながら、人は人と関わっていくものなのだと思う。

