『古畑任三郎』を今こそ語りたい理由|歳を重ねるほど増えていく深み

私は、小学生のころに『古畑任三郎』をリアルタイムで観ていた。
毎週、楽しみで仕方がなかった。

Netflixで配信されていたので、久しぶりに見返してみた。
大人になってから見返すと、 面白いと感じられる“層”が増えていることに気づいた。

子供のころも面白かった。
でも大人になった今は、もっと面白かった。

概要

『警部補・古畑任三郎』は、田村正和演じる古畑任三郎が、毎回さまざまな難事件を解決していくミステリードラマだ。

古畑はいつも自転車で事件現場に現れ、淡々と、しかし鋭く真相に迫っていく。

相棒は西村雅彦演じる今泉慎太郎。
どこか抜けていて、古畑に振り回される姿が絶妙なアクセントになっている。

シリーズは全部で3部構成。

  • 第1シリーズ:1994年
  • 第2シリーズ:1996年
  • 第3シリーズ:1999年

さらにスペシャル版や『古畑中学生』などの派生作品も作られている。

私が思う『警部補・古畑任三郎』の面白さ

『警部補・古畑任三郎』の面白さは、私の中では大きく3つある。

①物語の構造

なんといっても、まずはこれだと思う。

最初に犯人がわかっている。

普通のミステリは「犯人は誰だ?」が軸になるけれど、『警部補・古畑任三郎』はその逆だ。
最初に犯人と犯行が全部見せられる。
つまり、「犯人は誰か?」ではなく「どうやって暴くか?」を楽しむというドラマだ。

  • 犯行の全容を最初に見せる
  • 小さな違和感を散りばめる
  • 古畑がそれを拾う
  • 論理に変換する
  • 最後に一本の線でつながる

この流れが本当に気持ちいい。

②キャラクター

ミステリー作品には、知的で鋭い名探偵がたくさん登場する。
冷静沈着、観察力抜群、推理力は天才的。

古畑任三郎の魅力は、“名探偵としての優秀さ”に加えて「しつこくて、いじわるで、皮肉屋なのに、なぜか憎めない」という、人間としての面白さにあると思う。

古畑は、犯人を追い詰めるときの粘着質さがすごい。
何度も同じ質問をするし、わざと相手をイラつかせるし、揚げ足を取るし、ちょっと意地悪だ。

普通なら嫌われるタイプだ。
でも、古畑の場合は違う。

犯人は煙たがりながらも、最終的に犯行を暴かれた時に、古畑を憎んでいるようには見えない。

作中で、犯人がこういった趣旨のことを言うことさえある。

「だんだん、あなたと話すのが楽しみになってきましたよ」

犯人をこういう気持ちにさせるのは、古畑が犯人を敵として扱っていないからだと思う。
一人の人間として、敬意を払って接しているからだと思う。

それに、古畑は、ちょっと寂しがり屋で、ちょっと不器用で、ちょっと子どもっぽいところがある。
それが、しつこさや意地悪や皮肉を、愛嬌に変えているように思う。

犯人が古畑に心を許すのは、 古畑が“ただの名探偵”ではなく、「人間として魅力的」だからだと思う。
そして、それは視聴者にとっても同じだ。

③犯人の人間らしさ

古畑は、事件の真相をすべて暴いたあと、必ず犯人にこう聞く。

「どうしてこんなことをしたんですか?」

これは、この問いだけは、古畑自身が“推理”で答えを出すことができないからだと思う。

犯行は暴ける。
嘘は暴ける。
矛盾は暴ける。
でも、人の気持ちだけは、暴けない。

犯人が最後に語る動機は、ときに驚くほど小さい。
「え?そんなことで?」と思うような理由も多い。

でも、その理由は、その人にとっては重大で、揺るぎない理由なのだ。
他人から見れば些細なことでも、本人にとっては人生を揺らすほどの重さがあるのだ。

子供のころは、単純に「そんな理由で?」と思っていた。

でも、歳を重ねた今、「どうしても許容できなかったんだろうな」と、自然に想像できる。
犯行理由の裏にある、その人の積み重ねてきた人生や、抱えてきた感情の重さが想像できる。

たとえば、

  • 長年のわだかまり
  • ちょっとした嫉妬
  • 誰にも言えない劣等感
  • ふとした一言
  • 小さな誤解が積み重なった結果

そういうものが、他人から見れば「そんなことで?」でも、本人にとっては耐えられないことだったのだろうと納得がいく。

古畑は、事件の構造を暴くけれど、人の気持ちまでは暴けないというのは、実にリアルだ。

人間は、合理的じゃないこともあるし、完璧でもないし、説明できない気持ちで動いてしまうこともある。

『古畑任三郎』という作品は、その人間らしさを、最後の「犯行理由」のパートで見せているように思う。

変わらないものと変わるもの

『警部補・古畑任三郎』を見返してみたが、昔の自分が感じていた「面白さ」は、今もちゃんと自分の中に残っていた。
ただ、その上に、もう少しだけ別の感情が重なるようになった。

あのころと同じように楽しみつつも、見ている景色は少しだけ違っていた。
それだけ自分の中に積み重ねてきたものがあるということだろう。

歳を重ねると、自分の中で“変わるもの”もあれば“変わらないもの”もある。
これからも、その2つは並んでいくのだと思う。

『古畑任三郎』は、時代が変わっても色褪せない。
また気が向いたら、ふらっと見返してみようと思う。

同じ作品でも、その時々で、心に触れる場所が変わることってありますよね。

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