「本当は〇〇だったのに」と言う人の心理|選択の結果を尊重するという視点

これまで、いろんな人に出会い、いろんな人の人生を見てきた。

進学、就職、結婚、子育て、転職、挑戦、挫折。
誰もがたくさんの選択をして、たくさんの経験を積んで、今の場所に立っている。

もちろん私も。

そんな中で、どうしても違和感を感じる言い回しがある。

「本当は〇〇だったのに」

例えば、

「本当は、難関校に合格できる実力があったのに。」
「本当は、もっと有名な企業に就職できたのに。」
「本当は、もっと早く出世できたのに。」

こういう“過去の選択を否定するような言い方”が、私は昔から苦手だ。

過去の選択を否定することは、今を否定すること

人生は、選択の連続だ。

その時の自分が考えて、悩んで、決めたこと。
その積み重ねが「今」につながっている。

だから私は、過去の選択を否定すること=今現在のその人を否定することだと感じてしまう。

「本当は〇〇だったのに」という言葉は、その人が選んできた道を軽く扱っているように聞こえてしまう。

自分自身に対して「本当は〇〇だったのに」と言う人もいる。
それもあまり好きではないけれど、少なくともそれは“自分の人生”だからまだ理解できる。

私が許容できないのは、他者に対して「本当は〇〇だったのに」と言う人だ。

他者の選択に対してそれを言うのはおかしい。
その人の「今」を否定しているようで、すごく失礼だと思う。

人の人生には、いろいろな背景がある。

・経済的な状況
・精神的な余裕
・その時の価値観
・その時の優先順位

どれも外からは見えない。

これまでしてきたたくさんの選択には、その人なりの理由と覚悟があったはずだ。
だから私は、それぞれが辿り着いた「今」を尊重したいと思っている。

そう思っているからこそ、「本当は〇〇だったのに」に違和感を感じてしょうがないのだ。

「本当は〇〇だったのに」と言う人の心理

「本当は〇〇だったのに」と言う人には、いろんな思いが混ざっているのかもしれない。

もしかしたら、向上心のあらわれなのかもしれない。
「もっとできたはず」という気持ちが強いから、結果よりも“可能性”に目が向いてしまうのかもしれない。

あるいは、自分への自信のなさが影響しているのかもしれない。
自分の選択に満足していないから、他者の選択にも「もっとできたはず」というフィルターをかけてしまうのかもしれない。

また、過去への執着という場合もある。
「あの時こうしていれば」という思いが強い人ほど、現在よりも過去の“可能性”に価値を置いてしまうのではないだろうか。
その結果、今よりも「本当はこうだったはず」という仮定の世界を語りたくなるのかもしれない。

いずれにしても、悪気があって言っているわけではないと思う。
その人なりの価値観や経験があって、そういう言い方になるだけなのだろう。

だから、責める必要はない。
ただ、私はやっぱり好きじゃない。

まとめ

私は、「本当は〇〇だったのに」という言い方に違和感を感じる。
選択を軽く扱っているように聞こえてしまうし、今を否定しているように感じてしまうからだ。

でも同時に、この言い回しを使う人にも、その人なりの価値観や背景があるのだとも思う。
だから責める必要はない。

ただ私は、これまでの選択の積み重ねで形づくられた「今」を大切にしたい。
人が歩いてきた道のりに敬意を払いたい。

“もしも”よりも“今”を見ていたい。
そういう生き方が心地いいのだと思う。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!