『インターステラー』を楽しむ視点|相対性理論は“だいたい合ってればいい”

私は、昔から「時間の流れ」について考えるのが好きだった。

子どものころから「相対性理論」に興味があって、もちろん難しい数式はわからないけれど、それでも自分なりに概念を理解するために、あーでもないこーでもないと考えることが楽しかったし、この手の話題には、いつもワクワクしていた。

そんな私にとって、映画『インターステラー』とても面白い作品だった。

※この後の文章にはネタバレが含まれます。

概要

クリストファー・ノーラン監督によるSF映画『インターステラー』は、“時間”と“重力”をテーマにした壮大な宇宙ドラマだ。

地球の環境が悪化する中、元NASAパイロットのクーパー(マシュー・マコノヒー)は、 人類の新たな居住地を探すため、ワームホールを通って別銀河へ向かう。

旅の途中で彼らは、ブラックホールの強烈な重力によって時空が大きく歪む世界を体験し、その“ズレ”が地球に残した娘マーフとの関係にも影響を及ぼしていく。

最終的にクーパーは、ブラックホール内部で、時間が空間のように並んで存在する領域へと到達し、そこで過去のマーフにメッセージを送り、彼女が人類を救う方程式を完成させる手助けをする。

私なりの「相対性理論」の理解

映画の中でも登場する「相対性理論」について、私はこんなふうに理解している。

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まずは、「特殊相対性理論」。

1秒あたり10コマ進む電車があるとする。

止まっている人から見ると、1秒で電車が進んだ距離は、10コマ分に見える。
1秒で5コマ進む人から見ると、1秒で電車が進んだ距離は、5コマ分に見える。

つまり、電車の速度は、動いている人から見ると、相対的に遅く見える。

同じように、1秒あたり10コマ進む光があるとする。

止まっている人から見ると、1秒で光が進んだ距離は、10コマ分に見える。
1秒で5コマ進む人から見ると、1秒で光が進んだ距離は、5コマ分に見えそうだが、そうはならない。

相対性理論では、光の速度は誰が見ても同じと“定義”されている。

定義に理由はない。そういうものと受け入れる必要がある。
そういう風に考えると、色々うまく説明がつく。それが定義だ。

だから、1秒で5コマ進む人から見た光は、1秒あたり5コマ分ではなく10コマぶん進んだように見えなければならない。

そうするには、0.5秒当たり5コマ進んだとすればいい。
そうすれば辻褄があう。

つまり、動いている人の時間は、止まっている人よりもゆっくり流れる。
そして、早く動けば動くほど、時間の流れはゆっくりになる。

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次は、「一般相対性理論」。

重力が大きくなると「時空のマス目」が引き延ばされる。
でも、その時空の中にいる人は、伸びていることには気づかない。
なぜなら、その人自身も伸びた時空の中に存在しているから。

だから、重力が小さい時空で10年経過したのと、重力が大きい時空で10年経過したのとでは、“体感”は同じだ。

でも外から見ると違う。
外から見るというのは、マス目を取り払って、絶対的な物差しで見るということだ。

重力が大きい時空のほうが、外から見た経過時間(矢印の長さ)が長い。
体感が同じなのに、外から見ると経過時間が長いということは、重力が大きいと、時間の流れが遅くなるということだ。

インターステラーで、ミラーの星で急いで作業しなきゃいけなかったのは、その星が巨大ブラックホール「ガルガンチュア」のすぐ近くにあり、重力が極端に大きいせいで時間が極端に遅くなる(一般相対性理論)からですね!

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これが私なりの「相対性理論」の理解なのだが、たぶん、厳密には間違っていると思う。

厳密じゃなくていい

私は昔から、厳密性を追い求めるタイプではない。
学問的に正しいかどうかより、「自分の中で腹落ちするかどうか」のほうがずっと大事なのだ。
それが、私にとって価値のあることだから。

専門家から見れば「それは正確じゃないよ」と言われるかもしれない。
でも、私はそれでいいと思っている。
だいたい合っていれば十分だし、何より自分で考えて納得するまでの過程が面白いからだ。

ここで、誤解してほしくないのだが、厳密性を追い求めることが悪いことだと言っているわけではない。

世の中には、厳密性を追い求めること自体が喜びになる人もいる。

細部まで正しく理解したい。
理論的に完璧にしたい。

そういう人はその道を突き詰めればいいと思う。
それがその人にとっての面白さなわけだから、とことんやるのがいいと思うし、それがその人の生き方だ。

でも、全員がそうである必要はないと思う。

厳密性にこだわりすぎると、せっかくの面白さやワクワクを見逃してしまうこともあると思う。

面白さを大事にしたい

私は昔から「だいたい合ってればいいじゃん」というスタンスで生きてきた。
そのおかげでいろんなことを気軽に楽しめている気がする。

『インターステラー』を観て改めて思ったのは、「やっぱり、厳密性より面白さを大事にしたい」ということだ。

厳密性や正しさを追い求めすぎて、自分が面白いと思う方向に向かう余白がなくなる…
それは、すごくもったいないことだと思う。

厳密性も、正しさも、ルールも、常識も、普通も、どれも“外側の基準”だ。
そこに合わせようとすると、「自分の興味」の優先順位が下がってしまう。

でも、本当はもっと自由でいいはずだ。

興味のあることをとことん掘ってみる。
好きなことを好きなだけやってみる。

そのほうが、世界はずっと自由で、ずっと豊かに感じられると思う。

時間の流れの話は、私にとって“面白さ”の象徴です。
今も、昔も、きっとこれからも。

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