社外の人との会議の場で、上司が部下を指導し始める場面に遭遇することがある。
「いや違うでしょ、こうでしょ」
「それを先方に求めるのは違うでしょ」
私はあの感じがとても苦手だ。
指導が必要な場面はある。
でも、社外の人との会議の場でやる必要はないと思う。
公開指導をしてしまう心理
私は思う。
その場でやる必要がないことを、あえてその場でやるときは、そこにはきっとなんらかの“心理”が働いているはずだと。
「自分のほうが理解している」
「自分のほうが正しい」
「自分のほうがすごい」
という印象を社外の人に残したい気持ちのあらわれの可能性があるのではないか。
社外の人に「頼りない」と思われたらどうしよう…
その不安を埋めるために、部下を正すふりをしながら、自分の立場を守ろうとしてしまっているのではないだろうか。
公開指導は、強さの表現ではなく、弱さの表現なのかもしれない。
もちろん、そんな意図はない場合もおおいにあると思う。
会議の進行を守るために強い言い方をした可能性もあるし、普段からその口調なのかもしれない。
でも、その場でやる必要がない指導を、あえてその場でやるのは、やっぱり、どうしても、わざとやっている可能性があるのではないかと私は思ってしまう。
部下を正すふりをしながら、実際には自分の優位性を示しているのだとしたら、それは指導ではなく、単なる自己演出だ。
それに巻き込まれる部下が不憫でならない。
私はどう距離を取るか
公開指導の場面に遭遇した時、私はその言葉を「指導」とは受け取らないようにしている。
その言葉が向いている先は、部下ではなく、社外の人でもなく、自分自身の不安だと私は思うからだ。
部下の人が萎縮していくのを見るのはつらいけれど、その場で私ができることはない。
しかし、「これは弱さの表れなんだ」と理解しておくことで、少なくとも自分の気持ちを守ることはできる。
まとめ
公開指導は、指導という名を借りた、その人の内側にある不安のあらわれなのだと思う。
人は誰でも、自分が見られている場では少し不安になる。
その不安の扱い方は、人それぞれだと思う。
しかし、公開指導で不安を解消する行為は、私は賛同できない。
その場で誰かを正すことで安心しようとするのは、自分の不安を他人に押しつけているだけだからだ。
人は誰でも弱さを抱えている。
その弱さが、時に他人を傷つける形で表に出てしまうこともある。
私は、自分の弱さが他人を傷つける形で出ないように、できるかぎり丁寧に扱いたいと常に思っている。

