『世にも奇妙な物語』の中でも、長年“トラウマ回”として語り継がれる『おばあちゃん』。
放送されたのは2001年で、私はリアルタイムで観ていた。
この物語は、なぜか私の心にずっと残っていた。
歳を重ねた今、なぜそんなに心に残っているのか、その理由がわかる気がしてきた。
あらすじ
物語は、主人公・美保が、両親と一緒に危篤状態の祖母を見舞うところから始まる。
両親は医者に呼ばれ、美保は一人病室に残される。
その時、祖母の声が頭に響いてくる。
祖母は美保に、一日だけ体を貸してほしいと頼む。
美保は葛藤しながらも承諾し、祖母は美保の体で“やり残したこと”を果たしに行く。
祖母がやり残したことは、昔の恋人に会いに行くことだった。
昔の恋人の家を訪ねると、その人は寝たきりになっていた。
祖母は昔の恋人と短い時間だが触れ合うことができ、そして、来世で会う事を約束した。
最期が間近に迫ったその時、美保の身体の祖母が病室に戻ってくる。
苦痛からようやく解放されると安堵する美保。
そして、祖母は天国へと旅立っていった。
月日は流れ、場面は、美保の母親のお通夜。
そこで、判明する。
祖母は、美保に体を返していなかった。
美保の体の中の祖母は語る。
美保には悪いことをした。
でも仕方なかった。
自分だけが辛い思いをしてこの世を去るのは不公平だ。
あの女にも、同じように辛い思いをしてもらわなきゃ。
「おばあちゃん」の怖さの正体
この物語は、単なる“入れ替わりのホラー”では片づけられない怖さがあると私は思う。
私がこの物語で怖いと思うのは、心の奥底にあった感情が、ふとしたきっかけで表に出てしまうことだ。
● 心の奥底に潜む感情
祖母が本当にやり残していたのは、昔の恋人への想いではなく、長年の恨みだった。
人は、どれだけ年齢を重ねても、心の奥底にしまい込んだ感情が消えるわけではない。
むしろ、長い時間をかけて熟成されてしまうことすらあるのではないだろうか。
感情は、時間が解決してくれるものばかりではない。
むしろ、時間が感情を濃縮してしまうこともあると思う。
● 浮かび上がる本音
祖母は、昔の恋人に会うことで心が満たされた。
でも、人はひとつ満たされると、その下に隠れていた本音が浮かび上がることがある。
祖母の場合、それが“恨み”だった。
昔の恋人への想いが強く、その恨みは心の奥底に沈み、見えなくなっていたのだと思う。
でも、昔の恋人に会うことができ心が満たされたことで、 その恨みが浮かび上がる余白ができてしまった。
人の心は、ひとつの願いが叶ったからといって、すべてが浄化されるわけではない。
むしろ、満たされた瞬間に“次の感情”が姿を現すことがあるのではないだろうか。
● 不公平だという感情
祖母が最後に言う「不公平だ」という言葉。
これは、理屈では説明できない“感情の積み重ね”が凝縮された言葉に聞こえる。
祖母は、美保の母親からぞんざいな扱いを受けていた。
人は、理不尽を受け続けると、どこかで均衡を取りたくなることがあるのではないだろうか。
それが正しいかどうかは別として、理解できてしまう自分がいる。
この物語が投げかけてくる問い
「おばあちゃん」は、“人の心は、年齢では浄化されない”という残酷な真実を突きつけてくる。
そして同時に、こうも問いかけてくる。
- 自分の中に、長年しまい込んでいる感情はないか?
- それは誰かに向けたものか、自分自身に向けたものか?
- もし今の自分が誰かの人生に影響を与えるとしたら、どんな形で残るのか?
若い頃は気づかなかったけれど、今はこの物語が、自分の生き方を静かに揺さぶってくる。
若いころに観たときから、この物語がずっと忘れられずにいたのは、当時はまだ言語化できない感覚ではあったが、どこかでこういうことを感じ取っていたからなのかもしれない。

