強さと大丈夫を混同していた話|レジリエンスの高さが生む盲点

「大丈夫?」と聞かれたとき、私はいつも「大丈夫」と答えてきた。

昔の私は、「折れそうになっていないか?」という意味で「大丈夫?」を受け取っていた。
だから、折れそうじゃないから「大丈夫」と答えていた。

でも最近、その考え方はちょっと違うんじゃないかと思うようになった。

レジリエンスとは

ここ数年で、レジリエンスという言葉をよく聞くようになった。

レジリエンスとは、困難や逆境、強いストレスに直面しても、しなやかに回復し適応していく力のことだ。

私は、ストレスに直面した時に、このような傾向がある。

  • 何かあっても一晩寝れば気持ちが整う
  • 泣きたいときに泣きまくれば、その後は前を向ける
  • 悲観的にならずに、明るい方向に考える

だから、私はおそらくレジリエンスが高いのだと思う。
昔は、この言葉自体は知らなかったが、昔からレジリエンスが高かったのだと思う。

“レジリエンスが高い”というのは、良い意味で使われることが多いと思う。
ストレスを受けても立ち直れるわけだから、そういう意味では良いことなんだろう。

ただし、レジリエンスが高いからといって、ストレスを受けないわけではない。
むしろ、同じだけストレスを受けていても、レジリエンスが高い人はそれが表に出にくいというデメリットがあるのではないかと、最近思うようになった。

折れない枝は本当に大丈夫なのか?

レジリエンスは、枝に例えられることが多い。

よくしなる枝は、ストレスがかかっても折れない。
しならない枝は、ストレスがかかるとすぐに折れてしまう。

ここで、しなりまくっている枝って、折れていないから大丈夫なんだろうか?

限界まで力がかかって、ぎゅっと曲がっている状態。
それでも折れないなら、それは「強い」のかもしれない。
でも、「大丈夫」なのかと言われると、私は少し違うように感じる。

ストレスがかかっているという事実そのものが、もう“大丈夫じゃない”のではないだろうか。

「折れそうかどうか」ではなく、「ストレスがかかっているかどうか」。

その視点で見たら、しなりまくってる枝は、大丈夫じゃないんじゃないか。
そう思うようになった。

私は多分、折れない。
そういう性質の枝なんだと思う。

折れないことは「強さ」なんだと思うけれど、それが必ずしも「大丈夫」という意味ではないと思う。

しなっているなら、それはもう十分に負荷がかかっているということだから。

そう思うようになってから、私は自分の「大丈夫」の判断基準を変えた。

「折れそうかどうか」ではなく、「ストレスがかかっているかどうか」。

その基準にしたことで、心が軽くなった気がする。

私は、昔から折れなかったけれど、でもずっとストレスがかかってしなり続けていた。

そのことを認められたことで、昔の自分を慰めることができた気がする。
あの頃の私は、決して大丈夫じゃなかったんだと。

そして、今の自分を労わることができている気がする。

まとめ

私は、「折れていない=大丈夫」と思っていた。
でも今は、「ストレスがかかっていない=大丈夫」という基準に変えた。

そのほうが、自分の状態を正しく見つめられるようになった気がする。

折れないことは「強さ」だと思う。
でも、「強い=大丈夫」では決してない。
しなり続けている状態は、今の私の感覚では「大丈夫」ではない。

あなたの「大丈夫」は、どんな意味だろう?
もし昔の私と同じように「折れていない=大丈夫」になっているなら、 少しだけ基準を変えてみてもいいのかもしれない。

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