会議で決まったことなのに、「やっぱりこうしたほうがいいかもしれない」「別案も検討したほうがいいかもしれない」と後になって言い出す人、たまにいますよね。
で、みんなでその“別案”を検討した結果、 結局、
「……やっぱり会議で決まった通りでいいか」
となる。
いつも、あの時間はなんだったんだろうと思う。
でも、こういう人は悪気があるわけじゃない。
むしろ本人は「良かれと思って」やっている。
ただ、その“良かれ”が、やらなくていい仕事を増やしている。
良かれの裏側にある「不安」という動機
こういう人は、決まったことに対して“安心できない”のだと思う。
決定事項を前にすると、急に不安が立ち上がるのではないだろうか。
「本当にこれでいいのか」
「何か見落としている気がする」
「後で問題になったらどうしよう」
そして、その不安の処理方法が、結果的に仕事を増やしているのだろう。
再検討という作業を挟むことで、「ちゃんと考えた」という安心が手に入る。
別案を出すことで、「見落としはなかった」という証拠が作れる。
つまり、仕事を増やすことで安心を買っている。
その安心は本人にとっては大事なものかもしれないが、周りから見ると、ただ余計な仕事が増えているようにしか見えないこともある。
不安を「自分の中」で扱える人と、扱えない人
不安を感じたとき、人には大きく分けて二つの処理スタイルがあると言われている。
ひとつは、不安を自分の内側で処理できるタイプ。
つまり、不安を感じた時に、その処理を自分の内側で完結することができるタイプだ。
例えば、資料を読み直したり、自分なりにリスクを見積もったりなどして、「これはこのまま進めても大丈夫だ」と、自分の中で納得できる形にまで不安を整えることができる。
だから、不安はあっても、それが場に持ち出されることはない。
不安はその人の中で完結する。
一方で、不安を自分の中で抱えきれないタイプがいる。
不安が立ち上がった瞬間、自分の中で処理しきれず、不安がそのまま外に出てしまう。
そして、周りを巻き込む。
不安の処理が、自分の内側では完結せず、周りの人との共同作業になってしまう。
そうなると、決まっていたはずの流れが止まり、チーム全体の時間が奪われることになる。
本来なら必要なかったはずの議論が始まる。
“念のため”の確認がいくつも飛び交う。
予定していなかった確認作業が差し込まれる。
周りが不安を受け止めるために、自分の時間を差し出す形になってしまうのだ。
不安を感じること自体は、決して悪いことではないと思う。
むしろ、不安があるからこそ慎重になれたり、リスクを見落とさずに済んだりする。
ただ、その不安が強すぎて、まわりを巻き込みすぎてしまうと、まわりの人は自分のペースを崩されてしまう。
個人の不安の処理が「個人の作業」ではなく、「チームの作業」になってしまうと、チームが疲弊する。
その状態は、健全とは言えないと思う。
まとめ
決まったことを揺り戻そうとする人は、決して悪意で動いているわけではないと思う。
本人の中に立ち上がった不安が、自分の中で処理しきれず、周りに流れ出てしまうのだと思う。
「良かれ」のつもりで差し込まれた再検討や確認は、本人には安心をもたらすかもしれない。
しかし、チームには疲弊をもたらすことがある。
やらなくていい仕事を増やす人は、不安が強く、かつ、その不安を自分の中で処理しきれない人なのだと思う。
構造的には理解できるが、でも、わかったところで、受け止める側が疲弊するという事実は変わらない…

