最近、メルカリをはじめた。
最初は、私自身が着なくなった服や読み終えた本を出品していた。
そのうち、家族も「これ売っておいて」と言うようになり、家族の不用品を代理で出品することが増えてきた。
そんなある日、 家族がふとこんなことを言った。
「メルカリって、売れると嬉しいよな」
その理由を聞いてみると、ただ収入が入るからではないらしい。
「自分が選んだものを、誰かが“いい”と思ってくれた感じがするから嬉しい」
なるほどと思った。
売れることは、過去の自分のセンスが肯定されること
服や本って、その時の自分の価値観や気分が詰まっている。
- その服を選んだ理由
- その本を手に取った背景
- その時の自分の好みや感性
それらが全部、物に宿っている。
年齢を重ねると似合わなくなる服もあるし、読まなくなる本もある。
でも、思い入れがあるから捨てるのは嫌だ。
「これはただの物じゃなくて、当時の自分の一部なんだよ」 という気持ちがある。
そんな物がメルカリで売れたときに感じるのは、“過去の自分のセンスを誰かが受け取ってくれた”という感覚なんだと思う。
知らない誰かが、自分が選んだものを「いい」と思ってくれた。
それによって、過去の自分が肯定されたような気持ちになる。
なるほど、私も含めて世の中がフリマアプリを活用する理由の一つに、この感覚は確かにあるのかもしれない。
承認欲求
「自分のセンスが認められたようで嬉しい」 という気持ち。
これは、承認欲求に近いと思う。
承認欲求というと、SNSの「いいね」を想像しがちだが、 本来はもっと深いものだ。
承認欲求とは、「自分の存在や選択が、他者にとって意味を持つことを確認したい」という、人間の根源的な欲求だ。
メルカリで物が売れるということは、
- 自分が選んだものが
- 自分が価値を感じたものが
- 自分が大切にしていたものが
誰かの価値観と重なったということだ。
これは、自分の選択が他者にとって意味を持ったという瞬間でもある。
だから嬉しい。
これは、収入とは別次元の喜びだ。
こでひとつ思うことがある。
この嬉しさは、承認されることが“目的”になっていないからこそ健やかに働いているということだ。
断捨離の目的は、自分の生活を整えること。
その過程で、誰かが自分の選んだものを受け取ってくれる喜びを感じる。
それはただの“おまけ”だ。
承認されることが目的ではなく、副産物としてついてくるからこそ心地よい。
もしこれが目的になってしまっていたら、「誰かに認められたい」という気持ちが前に出て、行動が歪んでしまうと思う。
- 売れそうなものを探す
- 自分の好みより他人の評価を優先する
- 売れないと落ち込む
- 売れることが自己価値の基準になる
こうなると、途端に苦しくなるなずだ。
だから、承認欲求は、”おまけ”で満たされるのが健全だと思う。
まとめ
誰かに認められることは、嬉しい。
その嬉しさは、思いがけず手に入れた”棚ボタ”的な心地よさだと思う。
自分が良いと思ったものを選び、自分の感性で動き、自分の生活を淡々と進めていく。
その過程で、誰かが「それ、いいね」と言ってくれる。
承認は、主役ではなく“おまけ”だ。
そのくらいの距離感が、いちばん心地よくて、いちばん自由だと思う。


